「中山道宿場館」は,桶川宿に関するいろいろな資料が展示されている御休み処・観光案内所である。若い(らしく見える)女性が丁寧かつ愛嬌よく対応してくれた。紅花の種を戴いたので,来春,種蒔きして6月末ごろ我家の庭を賑わしてくれることを待つことにしよう。
ここら辺りは,桶川宿の中心地で「本陣」,二つの「脇本陣」が近接して立ち並んでいた場所である。
『府川本陣遺構』(寿2丁目2-4)
本陣は代々府川家が勤めた。脇本陣は,内田家と笠武家が勤めた。敷地は千坪あまり,建坪も二百坪に達していた。
瓦葺・切妻建物の一部(上段の間・次の間・湯殿)が現存している。
一般には公開されていない。
幕末には水戸藩主徳川斉昭が宿泊,孝女和宮も一夜を過ごした。門の脇に「明治天皇桶川行在所」の碑がある。
『島村家三階建て土蔵』(寿2丁目1-4)
木嶋屋を屋号とする麦とべに花で身代を築いた穀物問屋島村家の当主が,天保の飢饉に際し,人々に仕事を与える為建てたので,「お助け蔵」と呼ばれている。
桁下六間,梁間三間の木造三階建てで1836年建築と伝わる。封建社会の中で3階建ての建物を造るのはかなりの財力と権力をもっていないと出来ないことだという。
当代当主が内部を案内してくれた。
内部には島村家代々の家族が使っていた生活用品(長火鉢・煙草入れ・鏡台・長持ち・火鉢・農耕具・そろばん・天秤計り・食器・古銭・屏風・麻蚊帳・屏風・雛人形・・・・・・・)がどっさり展示されている。
幅4~50cmもあるかという梁材に圧倒される。
当主の言によると,先年屋根を修理するのに1千万円かかった,全部自腹である,重文指定でないとビタ一文補助金が出ないとのこと,いつまで保存できるか?息子の代にはどうなることやらとぼやいていた。
東和銀行手前の信号のある交差点を右折して「稲荷通り」を150mほど東進して再び右折した左手にあるのが
『桶川稲荷神社』 (寿2丁目14-13)
創建は1134年とも1225~27年ともいう。1693年桶川宿の鎮守となる。境内は4000㎡もあるとか,とにかくだだっ広い。
拝殿の前面に桶川宿を拠点に活躍した紅花商人24人の名(伊勢屋平兵衛・木嶋屋源右衛門・矢部半右衛門・須田大八郎・騎西屋安右衛門等など)を刻んだ石燈籠2基がある。この石燈籠は,安政4年(1857)に南蔵院不動尊に寄進されたが,廃寺に伴い明治4年(1871)稲荷神社に移された。上尾・桶川一帯は,武州紅花の産地として有名で,桶川臙脂と呼ばれて江戸や京都で珍重された。
境内には力士(三ノ宮卯之助)が持ち上げたという610kgもある力石があり,「大盤石」と刻まれ卯之助・世話人のほかに紅花商人の名が刻まれている。
中山道に戻って,東和銀行桶川支店前。
『市神社跡』 (西1丁目8)
五と十のつく日に路上で農産物の取引が行われた「五十の市」と宿内の人々を守る神として祀られた。
1876年に交通の妨げになるとして,稲荷神社に移され八雲神社として祀られている。
『大雲寺』 (西1丁目)
曹洞宗。龍谷山大雲寺。1557年開基。
本陣府川家の菩提寺でもある。
境内に三体の地蔵があるが,そのうち一番右手が「女郎買い地蔵」
宿の飯盛り女を買いに出かける地蔵に,住職がその背中に鎹(かすがい)を打ち込んで鎖で縛ったと伝えられている。背中に鎹が本当に残っている。(台座に正徳3年(1713)の銘がある。この話,女郎買いに出かける若い僧に対して,わざと地蔵に罪をかぶせて戒めたという裏がある。
『一里塚碑』 (西1丁目1)
江戸から10里目,「北一丁目歩道橋」の西詰めに石碑があったというが,トラックが突っ込み,その石碑すら跡形もない。
『レンガ造りの蔵』
レンガは当然のことながら深谷の日本煉瓦製造㈱製と思われる。
『上の木戸跡』 (西一丁目12-10)
「桶川市役所入り口」交差点の南東角に「木戸跡」と刻まれた石碑が建てられている。
文久元年(1861)に,孝女和宮の通行を迎える前に木戸を立て直したという記録が残されているという。高さ1丈8尺,幅8寸の角材で柵を作ったものであったという。
『松山道道標』 (西一丁目4-29)
日本橋にあった小田原町の魚市場の人たちが,天保7年(1836)に「上の木戸」辺りに立てたと言われている。
「松山以奈り道 本小田原町」 「天保七年丙申三月七日」と刻まれていて,碑文の中には「魚」の字が図案化されている。
松山道は,戦国時代,松山城と岩付(岩槻城)を直接結んでいた道。中山道から西に分かれ,下石戸村(現=北本市)を過ぎ荒川の渡しを経て松山(現=東松山市)に通じていた。歴史ある神社が点在しているという。
昼前から雨,午後は強くなるとの天気予報だったが,その雨も,一瞬陽が照ることがあるほどで,強い降りにも逢わず,15時前JR桶川駅到着後解散。
江戸時代の旅人は,江戸から桶川宿までを,一日で歩くのが普通だったという。実に健脚である。